実践報告
《ガイダンスカウンセラー実践インタビュー》【NEW】
1 北竜町立真竜小学校 教頭
北河 剛治 先生
北海道で小学校教諭をされ、現在は教頭職を務めておられる北河剛治先生に、以前の勤務校でのガイダンスコーディネーター※の実践についてインタビューさせていただきました。2人体制での教育相談コーディネーターとガイダンスコーディネーターの取組の具体的な活動や周囲への働きかけや、ガイダンスカウンセラー、教員として大事にされてきた姿勢などについて伺いましたので、ご紹介したいと思います。〔インタビュー 2024年8月〕
※北河先生の前任校での実践は、教育相談コーディネーターとガイダンスコーディネーターによる2人体制の取組で、北河先生はガイダンスコーディネーターを担当されていらっしゃいました。
ガイダンスコーディネーターとしての活動は?
学校の規模が500名程度と大きかったので、教育相談コーディネーターだけではなかなかカバーしきれないこと、私がガイダンスカウンセラーという資格をもっていることに校長が目をつけたことから、2人体制(教育相談コーディネーターとガイダンスコーディネーター)になりました。
主幹教諭が教育相談コーディネーターを担当し、ケース会議の開催、関係者への声かけなど会議を開く素地を作り、私がガイダンスコーディネーターとして、先生方の話を聞いて、そのあとのストラテジーをどう立てていくかという交通整理のような役割を担っていました。指導部は指導部で別にあったので、学校の分掌組織とは別枠の教育相談という2人体制で、そこに養護教諭が入って取り組んでいたような状況です。
主幹教諭が会議の細かい調整を、専門的なアドバイスは先生が?
私より職員室にいるので、先生方への声かけは主幹教諭のほうが積極的にしてくれていたかなと思います。そして、「どうしたらいい?」という感じで主幹教諭が私に振ってくれる。役割分担はそんな感じでした。うまくいっていたのは、その主幹教諭は生徒指導肌が強い方だったので、私がその反対側にいればいいという、2人の中での役割分担は自然とできていたかもしれないです。養護教諭もいい味を出していて、私と主幹教諭をつなぐ役目を養護教諭がしてくれたという感じでしたね。
こういう体制を作っていこうとなった背景は?
困り感はかなりあったと思います。
個(担任)に任せておいて、個がつぶれていくという様子があったので、それをなんとか組織にしたいという校長の思いがあったと思いますね。
若い先生も多くなってきていたので、誰に相談したらいいかというのがわかったほうがいいんじゃないかとか、そういう危機感を持ちながら校長はやっていたような気がしますね。
コーディネーターとして、先生方、子どもや保護者への具体的な関わり方は?
先生方に対しては、ケース会議の中で困り感のある子どもにどう対応するかのファシリテートをしていくというイメージですね。
担任の先生1人で抱え込まないようにということで、みんなで考えようという場を教育相談コーディネーターである主幹教諭が設けてくれて、そのときに私がファシリテーターとして入って、いろいろな先生方に意見を聞いていく感じでした。随時開催で、困り感がある子どもが出てきたときにやっていましたが、中盤からはほぼ毎日会議が行われるような感じでした。
子どもたちに対しては、朝しぶって玄関に入れない子どもなど、そういうところに関わっていきます。
当時、担任をもっていたので、1時間目に授業のない主幹教諭が対応して保健室や教育相談室に連れてきてくれた子どもに、空き時間に面談をするというような形で関わっていました。
子どもが帰るときに保護者が迎えに来るので、保護者に「こういう話をしました」、「こんなことをやってみない?」というような話をして、窓口にもなっていた感じでしたね。
随時開催の放課後の会議の時間はどれくらい?
担任もされながらというとかなり忙しいですが、特別な時間的配慮などは?
やっぱり長くなりますね。1時間から2時間は毎日かかっていたんじゃないですかね。
分掌業務として研修部で学力向上コーディネーターなんかもしていたので、そちらの業務も結構ありました。強いて言えば、そんなに大変ではないクラスをもたせてくれたかなという感覚はありました。
18時には帰ると決めているので、18時前には仕事を全部終えて帰れるようにしていました。
コーディネーターとして苦労された点、難しいと思われた点は?
ハード面で言うと、教育相談室がなかったんですよね。
保健室や苦肉の策で図書室の奥にある小部屋を改造して教育相談室にして。
ソフト面では、最初、「なんであの人が」という思いが先生方にもあったと思います。私が教育相談を勉強している、学級でSGEをやっているのはみんな知っていたんですけど、ガイダンスカウンセラーが何かは、みんな知らなかったかもしれないですね。
そこから体制が浸透するまでの流れは?
みんなにわかりやすく説明してほしいというのは校長に言いました。
4月ではなかったと思うんですが、校長から、ガイダンスカウンセラーというのがあって、その資格を私がもっているというのも話してもらったし、養護教諭がケース会議の様子を発表するときに、私がこういう役割でこうしていたというのをなんとなく説明してくれていたんですよね。それが浸透していったかなという感じはありますね。
浸透するのにはどれくらいの時間が?
6月を過ぎてくると、登校をしぶる子たちが出てくる。どうにもならないとなったときに困り感を先生方も抱えてきて、「どうしたらいいですか?」と。
チームで対応するようになって、少しずつでも来られるようになる、何かつながりがあるというのが見えてきたときに浸透感は増したと思います。だから、7月頃には皆さん受け入れてくれていたかなと思いますね。
コーディネーターになられたとき、先生はいわゆる中堅、ベテランという位置に?そもそも教育相談の勉強やガイダンスカウンセラーの資格を取得されたのはいつ頃?
教員になって20年超えてましたから、ミドルよりちょっと上くらいだと思いますね。
教員5、6年目に自分がつまずいたんですよね。集団が作れなくなる、女子との関係がうまくいかないという悩みを抱えたときに初めて出会ったのが教育相談や教育カウンセリングで。教員5年目くらいで勉強をし始めて、その5年後くらいに学校カウンセラーを取って、その流れでガイダンスカウンセラーも取れたので、10年ちょっとくらいですかね。そこから今また10年くらいたっていた感じです。
教員としてどういう位置にいるかは、コーディネーターとしてのやりやすさには関連しましたか?
どういう位置というよりは、自分の学級をうまくできているかどうかを見せられているかどうかが大事だと思うんですよね。足元揺らいでいる人の話は聞かないというか(笑)。
私の立場は、勉強していろいろ知っているというのは大事だと思うんですけど、たぶんそんなに経験や年数がいってなくても大丈夫かなとも思うんです。けど、主幹教諭の立場の方はベテランがなったほうが動きやすいだろうなとは思いました。
コーディネーターとして体制を作っていくために、先生方をつないでいくところで工夫された点は?
一番早いのは子どもの姿で見せることだと思うんですよね。
子どもたちが変わっていく姿を見ることで先生たちが変わるというのは、すごく実感しました。
それと、主幹教諭と養護教諭と3人で、「ちょっとあの先生呼んでみるか」、「今、この子困っているように見えるけど、あの先生はどう考えてるだろう。」とか、下地の作戦会議は前もってやっていました。
この先生に声をかけてみるかというのは、どういう視点で?
最初は、若手で困っている人というのがわかりやすかったですね。少し時間が経ってくると、そこに特別支援コーディネーターが入ってきて、話が膨らんでいくんですよね。
さらに、先生方の中から少しずつ声がこちらに入るようになってきて。ただ、それにはまらない先生、呼んでも来たがらない先生ももちろんいるので、それは結構苦労した感じがありますね。
その先生にはどんなふうに声かけを?
やっぱり一人で言わないというのと、主幹教諭と私の当たり方が違うのは大事かなと思いました。
頑なな先生も、ガンと来られて、柔らかく行くと、行って話してみようかという感じになるというか(笑)。私が手にあまると、今度は、私は引くんですよね。「自分で考えな」と言って投げるときもあったんですよ。そのときは主幹教諭が、「なんでああいうふうに言われたかわかるか?」とフォローに入るんですよね。お互いがうまくフォローし合っていたのはあったと思います。主幹教諭に「今、突き放しちゃったんで、先生お願いします」と。
教育相談コーディネーターは、2人体制だったからよかった?
学校の規模にもよるのかなと思うんですよね。あの学校で一人体制はかなりきついだろうなと思います。たぶん孤立してしまう確率が高いだろうなと。規模が小さい、そんなに困り感がない学校であれば、一人でも大丈夫だろうなと思います。
養護教諭の役割は?
フォローしきれない先生をフォローしてくれる感じですかね。私と主幹教諭だけでは関係を築きづらい先生、どうしても女の先生がいいという先生もいるので、養護教諭が拾ってくれていたような感じでしたね。
学校の雰囲気を変えていくために工夫されていた点は?
自分の教室は自分で守らなければならないというような昔ながらの学級経営は、私が行ったときにはかなり強かったんです。
そういう文化を変えていくのは、困っている先生がどうしたかということだと思うんですよね。
若い先生が困り感を抱えたときに誰に相談できるんだというのを見てわかるようにした。あえて、「大丈夫か」、「あの子はどうか」、そういう話を職員室で話すようにしていました。
ケース会議のときは、空き教室を使ってということが多かったですね。でも、メンバーを固定しない、今日は3人でやったけど、次は5人にしよう、あの先生も関わるんじゃないか、隣のクラスの先生も呼んでこようと、すごく臨機応変さがありました。
ケース会議で話し合った内容は、どこかで共有される?
それは、クラウド上で常に誰でも見られるような状況になっていて、気になる先生は見て欲しいということは、年度当初から言い続けていて。記録は毎回なんですけど、本当に長くなく、話した内容を簡潔に書いている感じでした。記録をまとめる人は特に決まってないんですよ。私がするときもあるし、養護教諭がするときもあるし、私も養護教諭も忙しそうにしていると、主幹教諭が「じゃあ、やっておくよ」という感じで。フレキシブルな動きなんですよね。
時系列で書けるような表になっていたので、担任は、その日にこういうことがあって困ったんだということを書き込めるように、随時更新できるようになってました。
学級の様子を見ながら困ってそうだなと声をかけるということですが、先生も担任をもってらっしゃる、どんなふうに把握されていたんですか?
休み時間とか、私は自分のクラスの子と「ちょっと散歩に行こう」と言って校内を散歩するんですよね。クラスにポツンと残っている子とか、寂しそうにしている子を見つけて、そういうときに声をかけたりもしますし、うちの子たちに「ちょっと行っておいで」とすることもありますし、放課後に「大丈夫かい?」と先生と話をしたりですね。校内散歩です。小学校では、わかりやすいのは休み時間なんですよね。授業中はきちんとしている子のほうがほとんどなので。寂しさを出すとか、気分がのっていないというのは、一番休み時間に出やすいので、その時間を無駄にしないというか。
休み時間も含めて、コーディネーター目線で活動をされている?
空き時間も面談をしたりしていたので、結構フルで活動してましたよね。そう考えると、ある程度年数いってからじゃないとできないのかな。例えば、授業の教材研究をするのにすごい時間のかかる先生だとそこまではいかない。若いうちは授業の準備がどうしても長くなっちゃいますよね。
空き時間に先生が面談をされたのは子どもたち?
保健室登校の子どもに「ちょっとお話しする?」という感じで話をしたりしてました。たまたま空いている時間に保健室にいる子に声をかけるような感じで。そうすると、お母さんも話したいということが起きてくるので、お母さんと一緒に3人で話をするとか。予約とかも特になく。
面談ではどんなお話を?
本当に何気ない話ですよ。普段何をしてるかとか、寝る前にどんなことをしているとか、今どんなことを考えているとか。その時その時の様子を聞いている感じです。最終目的は、元気になってほしいと。面談が終わったときに、ちょっとすっきりしたとか、元気になったという気持ちになってほしい、をゴールに置いてやっていました。
話したいんですよね、子どもたちも。でも、話し相手がいないから話さないだけなので、やっぱり自分のことを話していると元気になるということかなと。だから、私の中で面談はあまりこの時期にこうしてというのは考えてなかったですね。とりあえず元気になる、私と話したあとに元気な状態になっているといいね、ということですね。
難しかったと思われたエピソードは?
例えば、卒業間近で、中学校に不安を抱えているんだろうなというのと、担任に対しての不満が積もっているというような様々な感情が入り混じっている状態の子。現在もよくない、未来も絶望しかないという感じの子どもは、「どこにアプローチしていいのかな」というのが難しかったですね。
そういうときは、現在も未来もダメなので、過去に焦点を当てましたね。「どんなときに学校が楽しかったの?」と聞くと、「3年生のこんなこと」と話してくれるので、「じゃあ、そのときには戻れないけど、もうすこし未来が良くなるにはどうする?」という話をして。一番輝いていたシーンをその子が思い出すときに元気が取り戻されるので、元気からどうつなげていこうか、次どうしていこうかという話をするイメージでいましたね。
担任の先生との連携はどんなふうに?
まったく学校に来ていなかったのが、週に2回くらい来られるように、毎日1時間くらい来られるようになって、他の子と一緒に卒業させてあげたいなあと思ったときに教室に戻したいなあという気持ちが、私の中に出てくるんですよ。
やっぱり担任につながないわけにはいかないので、「どうしたらいい?」という話を担任に投げかけました。戻したいという自分の思いや願いを伝えたうえで、「1時間でいいから教室にいられる時間を作りたいよね」と。「どうしたらいいと思う?」というのは担任から引き出す。
そうすると、「席を後ろにしてみますか」「給食のときだけ呼びに行かせますか」「5人くらいで給食をそちらで食べさせて、そのあとに戻れるように徐々にしていきますか」というのが、担任から出てくるんですよね。そこは担任に委ねてました。
出てこない担任の先生には?
難しいんですけど(笑)。まあだけど、神妙にならないっていうんですかね、そういう先生でもやっぱり子どものことは考えているので、真面目にこうしませんかという提案をしないというか。
このくらいならどうだろうということを投げていくという。あともう一つは、クラスの子どもたちに「ちょっと休み時間に来てみない?」「あの子とやりとりするんだったらどうする?」と。
子どもたちが「今日帰ってLINEしてみる」とか実際に言ってくれるので、担任がだめだったら子どもに頼る。使えるものはなんでも使えでした。
先生方への働きかけで工夫されていたことは?
若手の先生には、例えば、「集団どうしてる?」という話をしたときに、「何をしていいかわかりません」という先生もいるので、「じゃあ、ちょっと私が授業してみようか」と、学活などに入ってSGEを入れながら子どもたちがコミュニケーションを取れるような授業を見せる、そのクラスに行ってやってみるということもありました。
あとは、自分のクラスでやっていることは、どんどん見なよと。若手の先生はどんどん来てくれますよね。その若手の先生のクラスの隣がベテランだったりすると、「この時間これをやってみるから先生も来てみて、のぞいてみて」という感じで、少しずつ巻き込んでいく。
やっぱり子どもが変わる姿を見せるというのが、ベテランでも若手でも一番響くので、授業をやっている中で「あの子とこの子は話せなかったのに話してるなあ」とか。見せるというのは大事だったかもしれないですね。
あとは、例えば自分のクラスでチクチク言葉をやったときに、その成果物について廊下に貼って、みんなの目につくようにはしてました。児童会がそれにふれて何か企画をしてくれたりして、種はいろいろ蒔いていたかもしれないですね。
教育相談コーディネーターやガイダンスカウンセラーとして活動をされるときに大事にされている点は?
鈍感力。本当は私のこと嫌なんだろうなと思いつつ、こちらは鈍感に声をかけるとか、子どもたちにも積極的にも声をかけていくとか、自分の鈍感さが大事になっていくのかなというのは思ってました。
鈍感には頑張るけれど、こちらも傷つくときもある。そういうときは?
私も結構ガラスのハートなので、傷ついてはいたんですけど、援護射撃はあったんですよね。
1人なんだけど1人ではやっていないということと、自分の教室は自分でしっかりとできていたので、目の前の子どもたちが成果として返してくれるというのも自分を支えてくれるものだったかなと思いますね。あとは、「井の中の蛙にならない」というのもいつも思っていて、学校だけに閉じて自分が生活してしまうとどうしても落ち込んでいくので。研修会もそうですし、学会もそうですけど、外に出ることでいろいろな人と出会うというのは大事かと思います。
援護射撃について、もう少し詳しくうかがえたら?
管理職は、やっぱり説明をしてくれるというのが大事だなと思いました。フォーマルな説明です。
例えば、ガイダンスカウンセラーはこういうもので、これに北河さんがなってるからこうやってもらうんだというフォーマルな、きちんとしたレールを説明してくれるというのが援護射撃になりました。主幹教諭は、私ができないところを補ってくれるというのが、私も間違っていなかったんだと思うし、互いを補完できているのが援護射撃になっていたかなと。養護教諭は、一番情報が入るところなので、先生方がどう考えているかがわかっているのは養護教諭だったんですよね。きちんと真実を説明してくれるというか、「あの子が来れるようになって、あの先生、実はすごい喜んでるよ」、「ちょっと入りすぎてるよ」ということをストレートに言ってくれるのが援護射撃だったと思いますね。
援護射撃をなかなか得られないコーディネーターへのアドバイスは?
アドバイスできるようなものは何もないんですが(笑)、あえて言うなら、子どもなんですよね。目的を見失わないというか、先生にどう思われようがいいやという強い気持ちも大事だと思いますし、鈍感に先生に嫌われても向かっていく自分も大事だと思いますし、そして何より変わっていく子どもの姿を喜べる自分や、自分の周りの組織だったり、人だったり、風土だったりの変化を喜べるということが大事だと思います。
コーディネーターとして活動してきて、良かった点、やりがいを感じた点は?
時間は必要でしたが、すごく良い変化を見られるというのは醍醐味だなと思いました。大きく学校全体を変えるような変化もそうだし、目の前の子どもが1時間でも教室に入れるということもそうだし。変化を見られる喜びというのは一番大きかったかもしれないです。
前任校でのコーディネーターの仕事について、管理職として改めて見えた視点は?
最後は人だなと思うんですよね。知識があっても経験があっても、それを使わなければ意味がないし、それをどう使うかという方策がなければ意味がないし。
今、担任をはずれた立場から見ると、先生方、もっともっと自分のやりたいことを目指してみたらいいのになあと思うことはたくさんあります。私は、あのとき随分自由に動かせてもらったんだなあと思うのと、それによく他の先生方もついてきてくれたなあと。
でも、それを主幹教諭と話すと「俺も面白いんだ」と言ってくれていたので、先生方は先生方で変わりたいという思いはあるんじゃないかなというのは、今思えばあります。
コーディネーターや先生方が持たれたらという資質や力とは?
知識が豊富というだけでない知見の広さというんですかね、それはすごく大事かなと思います。
教員育成指標とか見る中で、教員は教員に特化した能力をつけなさいと言っている気がするんだけど、そうではないんじゃないかな。
本当に幅広く、これだけ働き方改革で時間ができたというんだったら、本も見たらいいし、どこかに遊びに行ったらいいし、いろいろなものを見たり、いろいろなものを経験したりしたらいいし、そういう人間としての幅の広さというのが、力になっていくんじゃないかなと思いますね。
美しいものを見て美しいと思えるのか、それとも教材として使えると思うのかは、全然違うと思うんですよね。ものを美しいと見られない人が、子どもにとって魅力があるように映るかなというところに疑問があって、もちろん教員なんだけれども、教員の前に人であるということをしっかりと自覚する必要があるんじゃないかなと思います。
人材育成で特にやっていらっしゃることは?
私が直接しているのは、「授業を見せる」、「授業を見る」、そしてもう一つが他の学校とは違うんだろうなと思うんですけど、「私が受ける」というのをやっているんですね。
それは、私が机を持ってきて子どもたちと一緒に座って授業を受ける、先生が「質問ある人?」と言ったら「はい!はい!」みたいな。授業を受けていると一番感じるものがあるんですよ。
「この時間長いなあ」「暇だよ」「この質問わかりづらい」とか。子ども目線だからわかりやすいことがあって、それをその先生に伝えることが大事だなと思っています。だから、大人として見て授業が上手いとか下手とかではなく、視点を変えて人材育成に当たるのは大事かなと。
先生がクラス運営で大事にされていることは?
目の前の子どもたちに何が必要かを考えることだと思うんですよ。
ある方法やあるスキルということではなくて。この方法は前に成功したから今回も成功するだろうということではなくて。今、目の前にいる子どもたちが必要としているのはなんだろうという視点を常に持つというのは大事だと思います。フレキシブルさが大事だと思うんです。
※所属先・役職は原稿執筆時のものです。